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オランダの政治の風向きが少し変わってきている。
2002年以来3期にわたったバルケンエンデ首相は、経済不況やイラク問題など世界的な不穏状況を、自党『キリスト教民主連盟』(CDA)のキリスト教保守主義と、連合パートナー『自由民主党』(VVD)の自由主義を軸に、規制緩和と財政緊縮で乗り越えてきた。3期とも、連合政権内の小パートナーとの摩擦で満期とならず、中途で挫折しながらであったとはいうものの、停滞していた雇用状況も経済成長率もとにかく4年ほどで回復・成長基調に転換した。
しかし、経済が回復すれば、その余裕の中から力を得てくるのは、社会的な低下層の生活安定を求める動きだ。CDAとVVDの経済回復策が、自由市場の競争原理によって社会保障を縮小し、穏健とはいえ移民に対するあまり友好的ではない態度に基づいていたのであれば尚のこと、経済回復後の富の分配を社会的下層住民のために、という声が出るのは当然だ。
他方、9.11事件以来各地で散発するテロのおかげで、ずっとオランダ住民の間に尾を引いている、イスラム住民に対する懐疑的な感情は、国家主義的、移民排斥的な立場を支持する声になってきている。
不穏な世界情勢によって多くの政治難民を抱えるヨーロッパだが、オランダでも、難民政策を巡って、政治議論は、難民への福祉を求める社会主義者と、外国人に対して排斥的な極右勢力とに分極化する傾向がみられる。
オランダでは11月22日に第二院(衆議院に相当)選挙が実施された。ここでも重要な議論の焦点は難民問題で、そのため、選挙後まもなく、新議員で発足した第二院でも、早速この議題が激しく論じられた。
そして、それがきっかけで、12月13日、オランダでも過去に例がないといわれる奇妙かつ深刻な「非常事態」を導くことになった。一連の事態の経過と背景について報告する。
11月22日の選挙結果:社会党の躍進と極右の伸び=分極化
11月22日水曜日に行なわれた第二院選挙の結果、いくつかの目立った政治情勢の変化が明らかとなった。(具体的な議席数等については、豆知識を参考にして欲しい。)
まず第一に、『自由民主党』(VVD)が極端に後退したことだ。前回選挙比6議席減の22議席で、これまで、『キリスト教民主連盟』(CDA)、『労働党』(PvdA)に次いで第三位にあったVVDの地位は、『社会党』(SP)の躍進によって、第4位に転落した。12年間与党にあったVVDにしてみれば、劇的な敗退だった。
敗退要因の大きなものとして、ここしばらく続いていた党内のリーダーシップを巡る派閥対立があげられる。対移民政策で、情状酌量の余地を与えず「規則は規則」と「鉄の女」のニックネームで鳴らした急進的なリタ・フェルドンク移民・国民統合相は、その明快な政策で一部の国民の間にかなりの支持を広めていた。しかし、VVD党内部では、こうしたフェルドンクのような硬質の動きを好まない向きが多く、今年の初夏に選ばれた新党首は、VVD内でもいくらか中道寄りの穏健派、若く新進のルッテ氏だった。党首としての経験が浅いルッテは、党への票を集めるだけの力がなかったと考えられる。
実際、選挙後の発表で、VVDについては、党首の得票よりも、被選挙人名簿の第2位にあったフェルドンクが指名投票で得た投票数の方が多かったという。選挙人は、普通はわざわざ特定の被選挙人を指名せず、政党への投票は党首の票として数えられるから、この事態は、実に稀な出来事で、オランダ史上初めて、党首以外の被選挙人が党首の得票を上回るという事態が明らかになって注目を惹いた。この結果は、当然、フェルドンクを喜ばせ、党内の結束を一時揺るがす事態が起こるかにも見えた。
また、もう一つの要因として、かつて、トルコのEU参加に関して、賛成するVVDと袂を分かち、反対して新党を結成した極右派のウィルダー氏がいたことだ。彼は、バルケンエンデ政権では、1議席政党だったが、今回の選挙では、大衆の支持を得、なんと一気に9議席を獲得した。
旧来の伝統的な大政党の政治家たちは、ウィルダー氏が率いる『自由党』(PVV)を、外国人政策・移民政策だけにこだわる極右的な「ワン・イッシュー政党」と呼び、連合パートナーの相手にする気はない。だが、その政党が、初めての選挙で9議席を獲得したことについては驚きの色が隠せなかった。かつてピム・フォルテウン(2002年に暗殺される)という政治家が登場して、大衆の票をさらっていった時のことを思い出す。
他方、野党、左翼政党側でも、新しい動きが目立った。
これまで長く、『労働党』(PvdA)の支持の背後にあって小政党の立場を余儀なくされてきた『社会党』(SP)が躍進した。党首のヤン・マレイニセン氏は、ベテランの政治家で、バルケンエンデ政権期に低落したオランダの社会保障の回復や移民保護をテーマに社会的中下層を狙った効果的なキャンペーンを展開し、これまでの9議席からなんと17議席増、26議席で、堂々第3位に躍り出ることになった。
これは、ある意味では、バルケンエンデ政権期に、『キリスト教民主連盟』(CDA)のキリスト教保守主義が、伝統的に内包していたキリスト教倫理に基づく社会主義的な性格を逸脱して、『自由民主党』(VVD)と共にかなり右寄りの立場をとったこと、そのために、『労働党』(PvdA)が、その間隙を埋めるかのように、これまでよりもさらに中央よりの立場を示し、イデオロギー的な明確さが失われ、社会主義支持者の票が労働党から社会党に移動したためである、とも見られる。実際、労働党は、今回の選挙ではVVDと並ぶ敗者で、前回比10議席減の32議席という敗退振りだった。
他方、キリスト教民主連盟(CDA)のほかに、少数派のキリスト教政党2党(CUとSGP)のうち、『キリスト教連合』(CU)が3議席増で6議席獲得という目立った躍進をした。これも、上に述べたCDAの最近の保守基調の政策のために、キリスト教的社会主義の性格が薄れ、その間隙を埋めたCUの戦略が功を奏したものと思われる。
いずれにしても、11月22日の選挙結果は、総体として、左派勢力が伸長したと共に、移民問題で「排斥的」な傾向を明示する極右政党やVVDの急進派にも票が集まったことが特徴であった。一言で言えば、分極化、と評される。投票民は、「明確な」政治を求めている、といわれるのも、こうした事態を反映している。
選挙後待ち受けているのは、連合交渉だ。主要政党ですら、マジョリティを採ることのないオランダでは、慣れ親しまれたプロセスだ。しかし、上のような、社会主義と極右勢力とへの分極化の事態に対して、評論家やジャーナリストたちは、こぞって、連合政権の成立は「困難を極めるだろう」と予想している。
第1位のCDAと第2位のPvdAは、すでに、2003年の選挙後、長い連合交渉の挙句、もの別れになった経験を持っている。
左派躍進とはいうものの、『労働党』(PvdA)と『社会党』(SP)と『緑の左派党』(GL)が揃っても、76議席という議会過半数を占めることは不可能だ。かといって、現在のCDA−VVD連合は、もともと少数派政権だったが、今回の選挙でのVVDの敗退によって、もっと縮小してしまっており、この連合の組み合わせには、もはや、あまりメリットがない。
いずれにせよ、長期にわたる連合交渉が予想される中、新議員による新しい「第二院」が発足した。選挙結果に基づく新連合政権が樹立されるまでは、これまでのCDAとVVDによる〈総辞職済み暫定内閣〉が政権を維持する。法律によると、当然、この〈総辞職済み内閣〉は、すでに議会で審理され通過した政策を継続して施行するが、政策改変や新政策を実施することは出来ない。オランダ人は、このことを新政権発足まで「店番をするだけ」という言い方をする。
一般赦免を求める野党の動議(総辞職した内閣へ)
ところで、今回の選挙では、すでに、キャンペーンの時から、「一般赦免(generaal pardon)」の問題が、各政党の重要な争点になっていた。
ここで言われる「一般赦免」とは、2001年に新しい「外国人法」が施行される以前の、古い「外国人法」時代に、滞在ビザを求めていた手続き未完了の難民たちに対して、法の適用を赦免して、滞在ビザを発行する、というものだ。
これは、具体的には、2003年の時点でのフェルドンク移民・国民統合相による情報で、26,000人いるといわれた、手続き未完了難民を対象にしたものだ。この難民たちは、「移住・国籍取得局(IND)」の書類審査等によって滞在ビザの発行についての決定が下されるが、実際には、手続きに時間がかかり、最終決定が下されないままオランダ国内の難民収容所などでの生活を余儀なくされていた。
2003年時点での26,000人は、現在までに、出身国からの家族呼び寄せや新生児誕生などで、さらに約5,600人が増え、現在では31,600人にまで膨らんでいるといわれる。
フェルドンク移民・国民統合相が行なってきた主な施策は、この待機中の難民の手続きを積極的に進め、その結果、法規によって滞在ビザが認められないものに対しては、即、国外追放策を実施する、というものだった。イスラム急進派住民のテロの危険が叫ばれる中、彼女の断固とした国外追放を喜ぶ大衆は多かった。
31,600人のうち、これまですでに44%は、審査の結果、滞在ビザを取得し、オランダ滞在を正式に認められている。これは、当初予想されていたよりも多い数であるといわれる。残りのうち22%は、すでに国外追放を受けたか、自分の意思で出身国に帰還しており、34%が今のところ行く先未定の状況にある。
この事態について、選挙に先立ち、各政党は、「一般赦免」すなわち、手続き未完了者に対する滞在許可授与を求める政党と、それに反対する政党とに分かれた。
「一般赦免」支持の先頭に立っていたのが、『労働党』で、選挙の1週間前の11月16日、党首ワウター・ボス氏は、「一般赦免問題」は、労働党にとって重要政策課題のひとつである、とした。そのほか、『社会党(SP)』、『緑の左派党(GL)』、『民主66党(D66)』『キリスト教連合(CU)』『動物保護党(PvD)』が「一般赦免」を支持した。明らかに反対していたのは、『自由民主党(VVD)』とウィルダー氏の『自由党』だった。
興味深いのは、保守第一党の『キリスト教民主連盟(CDA)』の立場だ。これまで、VVDと共に、保守政治を展開してきたCDAとしては、既存政権の立場に基づき、VVDと同じく、「一般赦免」反対の立場を採るはずだが、選挙の前夜行われた党首討論会では、VVDのルッテ党首が、明らかな立場を要求した際に、言葉を濁して切り抜けた。消極的反対、とでもすべき立場というと適切か、と思う。
「一般赦免」支持者の論議は次のようなものだ。
<難民は、すでに数年間に渡りオランダに居住している。その間すでにオランダで友人関係を築き、しばしばオランダ社会への統合もうまくいっている。このように、新しい移入民に対しても見本となるような行動をしている人たちを、国外追放すべきではない。ましてや、彼らが滞在ビザを取得していないのは、審査手続きを怠り長期にわたって待たせている政府の怠慢に責任がある。政府の怠慢によって不安定で不確実な生活を強いられた人々に対して、オランダは生活の安定を与える責任がある。特に、子どものある難民に対しては赦免すべきだ。なぜなら、この子どもたちの多くはオランダで生まれオランダで成長しており、いきなり国外追放され、見知らぬ国に追いやられる理由はない。>
他方、これに反対する内閣は、次のような理由を挙げた。
<これまでに審査の結果滞在ビザが与えられなかった人たちは、従順にオランダの法律に従いオランダを去っている。いまさら他の人に赦免を与えたのでは、すでに従順に法に従った人たちに対して公平ではない。多くの場合非常に長期にわたって待たされた難民たちは滞在ビザが与えられている。法を変えて今になって「一般赦免」を実施すれば、オランダに希望を求めて今後再び帰ってくる難民が増え、これまでのせっかくの努力は台無しになる。>
確かに、ヨーロッパ連合によって、国境検査がなくなっている現在、ある国が、ひとつ移民受け入れ緩和策を出せば、周辺諸国、特に、対難民策が厳しい国からオランダにさらに難民が流入してくる可能性は高い。高度福祉社会が座礁になり挙げている今、これ以上移民が増えるのは、経済的に負担が大きすぎる。
いずれにしても、選挙の蓋を開けてみたら、こと「一般赦免」問題に関する限り、賛成派の議席が、ぎりぎり76議席で、多数派となることが明らかになった。
労働党首ワウター・ボス氏の、国外追放一時停止を求める動議
新しい議員による第二院が発足したあと、「一般赦免」多数支持の公算のあった労働党首ワウター・ボスは、さっそく、11月30日、将来成立の見込みがある「一般赦免」を理由に、フェルドンク移民・国民統合相が実施中の、難民手続き修了者(滞在ビザ非取得者)の国外追放の一時停止を求める動議を出した。動議は、賛成75対反対74という最小僅差で第二院を通過した。
しかしながら、この動議による決定をフェルドンク女史は、「総辞職済みの暫定」政権の名において拒否した。理由は、「総辞職済みの暫定」政権には、既定の政策を変更する権限がないから、というものだった。しかし、妥協策として、彼女は、この件についての次の審議が行われるまで、国外追放は行なわない、とした。
フェルドンク移民対策大臣への政策不信任動議
だが、その、次の審議が行なわれた12月12日、審議の開始とともに、政策遂行の再開(国外追放が実施される可能性がある)の立場を明らかにするフェルドンク女史に対し、労働党から再度の動議が出される。それは、再度、国外追放を一時停止することを求めたものだった。第二院の「一般赦免」賛成派の議員らは、フェルドンク女史の立場を斟酌して、一時停止を1日だけ延ばすように要求した。そして、この動議もぎりぎりで過半数の支持を得た。
しかし「鉄の女」フェルドンクは、バルケンエンデ首相と話し合いの結果、この動議による決定も拒否。
動議によって国会で可決された決定を拒否することは、それ自体、閣僚の越権とみなされる。しかし、他方、この動議結果を受け入れることは、「総辞職済みの暫定」政権には認められていない政策変更の実施を受け入れることになる。「法は法、規則は規則」で鳴らしたフェルドンク女史でなくても、まさに、どの動きも採ることのできない八方塞となった。
しかし、国会の動議決定を受け入れないフェルドンク女史に対し、野党から再び「不信任動議」が出された。そして不信任動議もまた、僅差で可決された。どうやら、フェルドンクの『鉄の女』ぶり、彼女の急進的で断固とした対移民政策を嫌う議員が相当にいたようだ。
ただし、この不信任は、役職者の「人物」そのものに対しての不信任(wantrouw)ではなく、役職者の決定・行為についての不信任(afkeuring)だったことが、この際、重要な論点となった。人物への不信任であれば、即辞職要求の意味を持つが、役職者が特定の事項について下した判断に対する不信任であれば、辞職を免れる可能性があったからだ。
バルケンエンデ首相は、この事態を受け、フェルドンク女史を支持した。
しかも、この野党による不信任動議の可決後、フェルドンクが属する『自由民主党(VVD)』の党首ルッテ氏は、フェルドンク女史が取ってきた政策は、VVDの立場を代表するものであるとし、フェルドンク女史が辞職するならば、内閣のVVDの閣僚はすべて辞職すると宣言する。
史上初のユニークな非常事態とそれへの対処
こうして12月12日の深夜、事実上、13日の未明、オランダは、政権存続の危機(クライシス)という非常事態を迎えることになった。
なにしろ、フェルドンク女史が不信任のために辞職しなければならないというのならば、自分たちも一緒に、という態度のVVDだ。VVDの閣僚が今辞職してしまえば、新政権樹立までの「暫定政権」はCDAのみによって支えられねばならない。新政権樹立までの短期間に、閣僚の半数近くを入れ替えるというのは、常識では考えられない。
ましてや、アフガニスタン派兵などの国際的な重要課題を抱えている状況で、VVDの閣僚が辞職すれば、オランダの国際的な責任問題にもなるし、現実に、国の政策への責任が持てなくなる。
翌13日、バルケンエンデ首相は、外国出張中の閣僚をオランダに呼び戻し、延々12時間にわたる協議を続けた。
VVDの立場は、あくまでも総辞職だったという。しかし、バルケンエンデ首相は、これらのVVDの閣僚に対し「国の利益」のために責任を採るためにも、内閣にとどまることを説得した。
その結果、13日の深夜、バルケンエンデ首相は、第二院議員に対して書面を送り、国会で、「次期政権樹立までの国外追放の停止」と「フェルドンク女史を含むVVDの閣僚の継続」「フェルドンク女史が担当していた難民問題の担当をヒルシュ・バリング法務大臣の管轄化に置くこと」を明らかにした。
「国外追放の停止」こそは、フェルドンクと並び、政権がそれまで頑として受け入れなかったものだ。それを最大限譲歩して受け入れ、本来ならば、政策変更を実施することの出来ない「総辞職済みの暫定政権」が政策変更を余儀なくされた、という意味で、オランダ政治史上、異例のことだった。その際、「人道的な理由のあるものについて」という条件が設けられたことにより、与野党双方を説得する理由付けがなされた。
野党満足、VVDの孤立
ジャーナリストや評論家たちにとっても、口をあんぐりの、史上稀に見るユニークな「非常事態」はこうして、回避された。これまで、明確な難民対策を実施したことで支持を取り付けてきたVVDにとっては、苦い敗北であり、それを、副首相ザルム氏は「ブラックデー」と表現した。大蔵相でもあった彼の、妥協を許さない財政緊縮政策が、この数年間のオランダ経済の回復に少なからぬ貢献をしていたことを考えると、この後味の悪さは想像以上であったのにちがいない。
他方、『労働党(PvdA)』、『社会党(SP)』、『緑の左派党(GL)』、『民主66党(D66)』、『キリスト教連合(CU)』ら、「一般赦免」支持の左派勢力は、バルケンエンデ首相の解決策を、歓迎し、新政権設立後の「一般赦免」実現への道が開かれたことに大喜びした。
オランダ政治の風向きが変わってきている。
もともと『キリスト教民主連盟(CDA)』は、保守とも革新とも連合してきた政党だ。キリスト教保守主義は、あるときは自由主義や保守主義に傾くこともあるが、他方、キリスト教的な倫理観に基づく社会主義的傾向が、革新派との連合も可能にしてきた。
政治の風が、革新に傾き、敗退したこれまでの連合パートナー『自由民主党』との連合が期待できない今、CDAとしては、社会主義勢力との連合の糸口を開いておくことが得策、と考えたのかもしれない。
また、経済回復基調に戻ったオランダとしては、これからしばらく、社会的低下層の利潤回復に焦点を置く政策が求められる時代になってきている。
今回の「第二院」と「総辞職済み暫定」政権との対立・緊張は、今後の動きに対しても様々の示唆を与えている。
だが、移民問題は、オランダの国境を越えて深刻化している。テロリズムと治安が叫ばれる中で、最近は、ネオナチの復活など、国粋主義的なオランダ人先住民の側の極右かも問題になりつつある。
ポルダーモデルの終焉、それとも?
実際、この政治危機「クライシス」解決直後の世論調査によると、左派に歩み寄ってこれまでの頑とした態度を曲げたCDAも、また、政策変更が不可能であることを承知で(暫定政権)に(国外追放一時停止)の動議で迫ったPVDAも、いずれも、支持率を落としている。
投票民は、「明確な」政治を求めている、という。だが、その政治とは、一方で、妥協のない社会主義、他方では、国粋的で人種差別的な極右の態度だ。1980年代から90年代にかけて、経済不況を脱して、ヨーロッパ内でのオランダの経済的な安定を取り戻すために、保守と革新が歩み寄り、妥協を重ねて乗り切ってきた、あのポルダーモデルの時代は、すっかり終焉してしまったらしい。
今世紀に入ってからの経済不況には、グロバリゼーションが影を落としている。国境を超えた世界規模の投機的な動きや、自由競争の市場原理の中で、国を越えて、貧富の差が広がっている。日本に限らず、オランダでも、貧富の格差は、広がりつつあり、社会の底辺部から、テロリズムの足音が聞こえる。
他方、テロリズムの脅威によって、人々は、自分のテリトリーを守り、塀で囲い、よそ者を受け容れまい、とする態度を強めてきている。社会的悪は、自分の属する集団ではなく、外部のものが原因であるとする。
しかし、かつて、オランダは、何度も、同様の問題を経験してきたはずではなかったのか。そして、オランダ人の伝統は、強権を嫌い、人々の自由と平等を擁護し、異なる価値観を持つ集団の共存を「寛容」の文化として誇ってきていたはずだ。
彼らのこの伝統的価値観が、これから、どのような政治展開に繋がっていくのか、注目される。
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